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DVD 日本の國寶・至寶
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日本の國寶・至寶
    残部僅少
    商品NO:DON-003  DVD20枚  定価:194,400円(税込)  分売不可
    各巻約70分/4:3/カラー/ステレオ/レンタル禁止
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日本の國寶・至寶
秘宝・至宝が悠久の時をこえ壮大なドラマを語る。
私たちの胸の奥に潜む「日本の心」がいま鮮やかによみがえる!
興福寺の五重塔がわずかの金額で売られたという、かつて、神仏分離令によっておこった痛ましい事実。
それはまた、日本の古美術の、世界への流出をも加速させていきました。明治時代、開国と同時に訪れた日本美術の滅亡の危機に救いの手を差し伸べたひとりがアーネスト・フェノロサでした。
彼の大きな功績は、「国宝」という概念を通じて日本に文化財保護の思想を注入する大きなきっかけをつくったことにあります。
「驚愕すべき彫刻、世界に比類なき仏像」−法隆寺の夢殿に約千二百年もの間埃に覆われて眠り続けた秘仏・救世観音に出会った時のフェノロサが語ったこの言葉は、私たち日本人に、時の流れのなかで忘れかけていた大切な日本の心を呼び覚ます警鐘となったのです。
第1集
【日本の美の黎明期 古代人の祈り】
  エネルギッシュで多彩な造形力で世界でも類を見ない中期縄文土器、続く弥生土器のデザインは日本美の源流となっている。古墳時代、日本各地では巨大
  な古墳が多数造られ、副葬品の鏡や剣、馬具などは大陸との盛んな交流を示し日本美術形成の土壌となった。縄文土器で幕を開ける日本美術史を追う。
【寺と仏のはじまり 法隆寺・西院伽藍】
  天智9年(670年)に焼失したといわれる法隆寺は、680年代に再建されたとされる。再建、非再建をめぐっては、明治以来激しい論争が続けられてきたが、
  再建説を採ってもなお、法隆寺は世界最古の木造建築であり、なかでも西院伽藍は最古の遺構である。また、この寺は飛鳥、白鳳時代の仏像や絵画の
  宝庫である。
第2集
【祈りの造形 法隆寺・太子ゆかりの寺々】
  東院伽藍は天平11年(739年)頃、僧行信が聖徳太子の徳を偲んで、斑鳩宮の跡地に建立したものである。伽藍の中心に八角仏殿(夢殿)を配置する
  特異な構成であり、夢殿には秘仏、救世観音が安置される。百済観音、弥勒菩薩、玉虫厨子など西域・大陸との交流の証をみる。
【西域の香り 薬師寺】
  堂々たる王者の風格をそなえた薬師寺の薬師三尊像。その台座にはシルクロードのシンボル、葡萄唐草文がめぐり、ペルシャやインド、中国ゆかりの浮き
  彫りがエキゾチックな香りを放つ。オリエントの香りをもつ、雄大にして崇高な品位ある造形美の仏たち、唐草をまとい天から舞い降りる飛天をかざす東塔
  の水煙。インド神話、ギリシャ神話を想起する女神像。西ノ京に華咲く白鳳の夢と天平の技が織り成す美の数々を探る。
第3集
【天平の幕開け 東大寺・法華堂】
  「東大寺要録」によれば、天平5年(733)良弁が三笠山の中腹に金鐘寺を建立。これが東大寺の前身と伝えられている。そして、その中心となった建物が
  法華堂である。天平15年(743)3月に、法華堂の講説・法華会が行われたことから法華堂は三月堂と呼ばれている。
  この時代になると、周囲を華やかに彩る荘厳さにもさまざまな意匠が凝らされた。華麗にして緊張感のある天平の美と粋を知る。
【天平の華 東大寺・大仏開眼】
  天平勝宝4年(752)国家鎮護の基、東大寺大仏開眼供養が執り行われた。その華やかさは「仏法東漸以来、今だかつてこのような壮麗な儀式はなかった」
  と言われ、、多くの渡来僧が参加した。日本の古代文化の頂点を極めた天平美術の数々、聖武天皇、光明皇后の遺産を含め東大寺の古文化財を探る。
第4集
【天平の甍 唐招提寺】
  戒律伝授の使命を受け、受難を乗り越えて来日した唐僧鑑真は、天平勝宝8年(756)に親田部親王の旧邸跡を改寺し、唐招提寺とした。
  古代寺院の雰囲気を最も良く伝える端正な伽藍の寺である。不屈の名僧鑑真の開いたこの寺の仏像群は、奈良時代末期から平安時代への過渡期の
  様相をよく伝えてくれる。
【南都鹿鳴 青丹よし奈良の寺々】
  藤原氏の氏寺である興福寺は、官立大寺院と同等の格式をもつ大伽藍を誇った。光明皇后ゆかりの阿修羅像は、微妙な感情表現までも可能とした
  天平彫刻典型とされる。元興寺の前身は、飛鳥の地に建てられた日本最古の寺法興寺(飛鳥寺)である。瓦には、この飛鳥寺の新羅瓦が一部転用
  されており、それは日本最古の瓦である。新薬師寺も光明皇后発願で天平17年(745)頃建立と伝えられる。本尊薬師如来の眷属、十二神将像に
  その憤怒の形相などを見る。
第5集
【密教森厳 教王護国寺】
  弘仁6年(815)、唐の都長安で正純密教の正系を伝える慧可に師事し、胎蔵界・金剛界・伝法阿闍利位の灌頂を受けた空海は、真言密教の美術を
  体系的に東寺に伝えた。五大明王像・両界曼荼羅図などは平安新仏教のエネルギッシュで華麗な姿を今に伝える。
  三筆のひとり、空海の遺墨は弘法大師の人柄を偲ばせる。
【深山に祈る 山岳信仰のひろがり】
  最澄、空海が遣唐使として密教を持ち帰ったことにより、厳しい戒律を山岳修行に求め深山に多くの寺社が造営される。その代表例が比叡山延暦寺で
  あり、京都洛北の神護寺、室生寺であろう。室生寺は嵐気のなかに堂塔が散在し、堂内は平安時代初期の仏像の宝庫である。
第6集
【神道の造形 神々の息吹】
  神の信仰は日本固有の信仰ではじまり、仏教伝来以後神道の概念が形成された。平安時代初期には神仏習合思想のもと、神社建築の初源的な
  様式が形づくられた。その中で大社造の流れから大鳥、住吉、春日造が生まれ、神明造の流れからは流造の賀茂神社や、八幡造の神仏習合発祥の
  宮、宇佐神宮などが生まれた。祭りと宝物が語る信仰の歴史を探る。
【浄土憧憬】
  平安時代後期、極楽往生への切実な願いが浄土世界を創造した。なかでも瑞鳥のごとく麗しい平等院鳳凰堂に、平安貴族は阿弥陀浄土に憧れる
  空間を、来迎図・天空を舞う菩薩たちで浄土世界を創り上げた。浄土憧憬の典型を、平等院をはじめとする建築、仏像、来迎図の幻想的な絵画に探る。
第7集
【地方美術の興隆 陸奥から豊後まで】
  平安時代後期は、地方にも壮麗な文化が広がった時代であった。奥州平泉の中尊寺金色堂や、九州豊後の富貴寺大堂が建築された。
  辺境の地と言われた陸奥の藤原三代の魂を奉る葬堂としての中尊寺は、都・京都の最先端文化を直接摂取した清衡の熱い想いが荘厳な堂内に伝わる。
  中央から摂取した美とは対照的に、海の交易と結びついた九州国東半島の富貴寺大堂・臼杵石仏などに文化の流れを追う。
【絵巻の黄金時代 源氏物語絵巻】
  平安時代後期は絵巻物が日本で独自の発展をとげ、絵巻の黄金時代を迎えた。源氏物語絵巻は複数の制作集団による競合の美を造り出し、絵と共に
  詞書の書風や料紙の装飾が一体となって、洗練の美の極みとなっている。世界最古の長編小説に、千年の時を経てもなお、成熟した物語に変わらぬ人間の
  生をみる。
第8集
【絵巻の黄金時代 伴大納言絵巻】
  宮廷の熾烈な権力争いを背景にした応天門の乱。源氏物語絵巻が一場面を一紙に完結的に描くのに対して、伴大納言絵巻は長大な画面に事件の推移を
  連続して、ダイナミックに描いている。12世紀の社会や風俗を写し出す史料としての精度、物語、時代を写す鏡、造形性の三つの面でぬきんでた絵画を解明
  する。
【絵巻の黄金時代 信貴山縁起絵巻】
  信貴山縁起絵巻は、縁起的性格よりも説話性に傾いた特徴を持ち、躍動する絵画展開がストーリーを生き生きと語る。軽妙な人物表現や魅力的な
  山水描写で、寺の中興の祖命運にまつわる三つの不思議な物語を展開する。作家が物語りの時間と空間の処理に工夫を凝らした巧みな画面構成をみる。
第9集
【絵巻の黄金時代 鳥獣人物戯画】
  京都・高山寺に伝わる甲乙丙丁あわせて四巻の絵巻「鳥獣人物戯画」は、いずれも即興的な白描の手法で、甲巻は動物を擬人化してユーモラスに描き
  乙巻は動物、丙巻は人物と擬人化された動物、丁巻人物のみが描かれている。動物によって当時の社会・習慣を如実に反映させた軽やかな風刺精神を
  解く。
【平家残照 厳島神社】
  神社の起こりは、荘厳な弥山の姿に神霊を感じた古代人が、神の棲む島として崇拝した自然発生的な信仰からと推定される。仁安3年(1168)平清盛は
  厳島神社の大造営工事を行ない、現在のような荘厳な海上社殿の基礎がなされ、自然と融和した建築美の結晶となる。平家一門が奉納した平家納経に
  当時の工芸様式の粋をみる。
第10集
【南都復興 運慶・快慶】
  新時代、鎌倉美術の開幕は東大寺、興福寺などの南都復興にはじまる。この大事業のなかから巨姿をあらわすのが運慶・快慶を代表とする慶派の仏師
  たちである。平安時代後期の夢幻的な仏像表現に対して、運慶の造形は写実的で力強く、雄大重厚な迫力に満ちている。快慶の表現は理知的で、その
  作風は安阿弥様と呼ばれ、多くの追随者輩出した。
【地獄をめぐる 六道絵の世界】
  平安時代末期から鎌倉時代にかけて、六道輪廻の思想をもとに、六道絵と呼ばれる絵画が制作された。「地獄草紙」「餓鬼草子」「病草紙」「聖衆来迎寺
  六道絵」など、戦乱の続く当時の世相を反映といわれ、人間の苦痛に焦点をあて、人間世界のあらわな姿を直視させることで、貴族たちはその対極としての
  浄土往生を祈願したといわれる。
第11集
【書の世界 三筆・三蹟・かな】
  漢字文化圏に独特な造形芸術の分野に「書」がある。ローマ字やアラビア文字にも美しい筆蹟はあるが、絵文字から出発した漢字の多様さ複雑さには
  及ぶべくもない。飛鳥時代の聖徳太子の筆と伝えられる書から、平安時代の三筆、三蹟、さらには国風文化の華とも云うべき「かな」の誕生、下って
  「良観の三筆」までの書の歴史を、国宝、重文でたどる。
【仏像の変遷 時代を映す仏たち】
  法隆寺釈迦三尊像に代表される北魏様式の荘重な飛鳥仏から、天平時代の唐風の写実的で豊麗な仏像、平安時代前期の重厚な一木造、鎌倉期
  を絶頂期とした仏像彫刻の変貌を総合的に展望し、如来形、菩薩形、明王、天部など形相の特色を紹介、時代ごとの展開を跡づける。
第12集
【水墨画の世界 中国・宋元画と雪舟】
  中国美術の輸入は鎌倉時代末期以来、禅僧の往来と共に再び盛んになる。宋元画のなかでとりわけ日本で高く評価されたのは、牧谿をはじめとする
  画僧や宮廷画家たちの水墨画である。絵画の新しい波としての水墨画・・・その種々相と、雪舟の出現により日本独自の水墨画が花開くまでをたどる。
【現世の荘厳 永徳・等伯】
  桃山画壇の諸流派は、強力な統率者のもと組織維持のために各々が支持層の拡大に努めている。15世紀末、狩野正信が室町幕府の御用絵師となり
  以後、狩野派は桃山・江戸時代を通じて世界最長命の画派となる。正信の曽孫に巨匠永徳が現れ、相対したのは長谷川等伯であった。二人のライバル
  巨匠の競合は、空前の障壁画の黄金時代をもたらす。
第13集
【城と茶室 城郭御殿と数寄屋建築】
  桃山時代、統一精神と覇者の権勢を象徴するものは城郭・殿館の建築であった。姫路城のような豪壮な大建築が築かれる一方、茶室のような極小の建築が
  盛行した時代でもあった。人間の諸活動に直接かかわる対照的な建築空間と、そこに繰り広げられる美術工芸の世界を描く。
【絢爛たる霊廟 日光東照宮】
  「構造即意匠」の日本建築の伝統からすれば、東照宮の過剰なまでの装飾法は異端であり、ブルーノ・タウトは「建築の堕落」と決め付けた。しかし近年の
  建築史家は東照宮の建築群に日本の伝統建築の「意匠の総合性」を認め、再評価の気運にあるという。東照宮とあわせ、そのロココ化とも言うべき同じ
  日光の徳川家光廟、大猷院も紹介し、日本的バロック美の頂点をみる。
第14集
【この世の賛歌 近世初期風俗画】
  近世初期の日本では、他のどの国にもないほど、質・量ともに充実した風俗画が描かれた。憂き世から浮世へ、現世肯定の時代精神を反映して風俗図は
  さまざまな分野にその表現領域を拡げていく。遊楽図、祭礼図、南蛮屏風などに展開された風俗画の種々相を見る。
【おもしろの花の都 洛中洛外図】
  室町時代末期から江戸時代初期にかけて、花の都の人の営みを細大漏らさず屏風画の大画面にパノラマする洛中洛外図が盛んに描かれた。
  洛中洛外図屏風の三大名作といわれる町田本、上杉本、舟木本から、中世末から近世初頭の都の活気に満ちた情景を見る。
第15集
【琳派の美 光悦・宗達・光琳・乾山】
  俵屋宗達の芸術を継承した光琳、その弟である乾山は京焼きを学び、光琳の絵に乾山が能書を生かした斬新な意匠を生む。日本美術の装飾的な特徴を
  代表する光琳の美は、京都の裕福な町人たちが、桃山時代から築き上げてきた洗練された文化の集成であった。日本美の典型、琳派の豊かなひろがり。
【江戸後期の絵画・文人画と写生画】
  江戸時代後期にはさまざまな絵画様式が開花した。主観的表現性を重視する文人画派と、写実を重視する写生画派を中心に絵画の潮流をみる。文人画
  では、その大成者とされる池大雅・与謝蕪村、文人画第二のピークを築いた浦上玉堂、写生画では円山応挙を中心に、この時代の美術のありようを描く。
第16集
【地底からのメッセージ 装飾古墳】
  昭和47年(1972)、奈良県明日香村の高松塚から極彩色の壁画が発見され日本全国を驚愕させたことは記憶に新しい。およそ1300年もの永い眠りから
  覚めた第一級の絵画古墳であった。そして高松塚古墳に勝るとも劣らないキトラ古墳の発見が続いた。「高句麗古墳」(北朝鮮)の壁画に描かれる人物像や
  四神や星図を紹介し、日本の装飾古墳のルーツを北朝鮮・中国に探る。
【近世宮廷美術の粋 桂離宮・修学院離宮】
  江戸時代初期、草案風茶室の洗練された「わび」の意匠は格式ばった書院造りの座敷にとり入れられ、いわゆる数寄屋造りの新しい住宅様式が生まれた。
  この数寄屋造りの、最も早くまた最も優れた遺構として有名なのが桂離宮である。桂離宮は江戸時代初期に造営された別荘である。修学院離宮は後水尾
  上皇の離宮として万治2年(1659)に造営された。その庭園は豪快な借景式大庭園の傑作として知られる。
第17集
【日本工芸の華 漆】
  英語で「ジャパン」といえば「漆器」を意味するほど漆は日本を代表する工芸である。奈良時代には中国・唐の技術が多く伝えられ、平安時代には日本独特の
  蒔絵が発達、桃山時代以降、茶の湯によって漆芸品の鑑賞が行なわれるようになった。こうしたなか、高台寺蒔絵が清新な様式を打ち立てていく。江戸時代
  初期には光悦蒔絵が堂々たる意匠構成を示し、尾形光琳に引き継がれる。それぞれの意匠から日本人の心をみる。
【百花繚乱 陶磁器の世界】
  中世まで地味で実用品であった焼き物は、桃山時代以降釉薬や技術の進歩によって華麗な表現世界を獲得した。日本で最初に磁器が焼かれたのは九州の
  有田焼であり、伊万里焼はヨーロッパに大量に輸出された。その後、多種多様の陶器が華やかに開花し、京都では仁清が雅な色絵装飾を登場させる。
  仁清に学んだ乾山は漆蒔絵作品の意匠のように、文学の意匠を陶磁器に取り入れた。世界のブランド品となった近世の陶磁器の美を追求する。
第18集
【においたつ色香 浮世絵美人】
  江戸はそもそも辺境の地であり、さまざまな人が集まった新興都市であった。そこには伝統的な文化の存在はなく、自由で開放的な人々の活気に満ち溢れ
  ていた。そんな時代に菱川師宣の描く美人像は人気を博した。これが浮世絵の始まりである。江戸の町人文化が爛熟し、浮世絵が黄金時代をむかえたころ
  艶やかな美人画をつぎつぎに世に出したのが喜多川歌麿であった。「粋でいなせな江戸っ子」の世界に遊ぶ。
【花のお江戸のエンターテイナー 北斎・広重】
  葛飾北斎の「冨嶽三十六景」はあまりにも有名であるが、空想力で描いた怪奇の作品「あの世から迷い出たもの」「束の間に現世に生きるもの」、江戸の
  ベストセラーとなった「北斎漫画」、白眉と称される美人画などを採り上げる。エネルギッシュな北斎に対し、平安時代以来のやまと絵・四季絵・名所絵の
  伝統を幕末に復活させたのが歌川広重であった。その叙情的風景画は国際的にも高く評価されている。
第19集
【驚異のまなざし奇想の画家 若沖・蕭白・芦雪】
  江戸時代中期以降、爛熟した文化は奇想の画家たちを生んだ。凝視の果てに幻視の世界にまでつき進んだ伊藤若沖、荒々しいタッチでエキセントリックな
  表現にあふれる鬼才、曽我蕭白、大胆な構図で才気あふれる奔放な画風の長澤芦雪。対する江戸の浮世絵師歌川国芳は「いなせ」「勇み肌」「鉄火」と
  いう形容が当てはまる。斬新なグラフィックのセンスとユーモアと怪奇・幻想の奇妙な発想画家たちを探る。
【異国への憧れ 南蛮美術・紅毛美術】
  近世初頭、ポルトガル人の渡来で、日本ではじめてヨーロッパを知り、いわゆる南蛮美術が流行した。豊臣家御用絵師・狩野内膳の南蛮屏風には黒船や
  南蛮人、アラブ馬や象、虎など秀吉の好む南蛮風景が描かれている。はじめて出会う西洋人が、天下泰平の世に何をもたらし、人々にどんな影響を与え、
  その後の日本文化に何を遺したかを南蛮美術・紅毛美術にみる。
第20集
【海を渡った日本の美 ジャポニスム】
  19世紀後半には日本美術の意匠を中心とした日本趣味・ジャポニズムの嵐が欧米を覆い、ガレ、モネ、ルノワール、クリムトなど、今も日本人に好まれる
  画家たちのモチーフに、「琳派」や「浮世絵」「庭園」などが大きな影響を与えた。日本美術が広くヨーロッパに浸透したアール・ヌーボーの工芸美術館
  「ナンシー派美術館」などを訪ね、かの地の美術の革新に、いかに日本美術が寄与したかをみる。
【明治のロマン 近代建築の美】
  幕末から明治にかけて、洋風とも和風ともつかない建造物が日本各地に現れた。ヨーロッパ・日本・中国が混じり合った無国籍な造形の建築で、これらの
  建築は「擬洋風建築」と呼ばれている。擬洋風建築は、明治政府が推し進める文明開化の象徴である。文明開化から生まれた明るさの象徴とされている
  擬洋風建築は、その背景にある暗さなどを引きずり込みながら生まれていった明暗の物語がある。

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